カポーティ
どんなに帰宅が遅くても、疲れていても、忙しくても、寝る前の30分はゆったりと風呂に浸かることにしている。30分も何をしているのかというと、本を読んでいるのである。バスタブに寝そべって一日の疲れを癒しながら本を読むというのは、私にとって、目まぐるしく過ぎていく生活の中での、ささやかながら贅沢な一時となっている。
つい先日までは、カポーティの小品集を読んでいた。『ティファニーで朝食を』 が入った全4編である。何年か前にに一度読んだものを読み返したのであるが、やはりこの人はすごい。小説の中の小説という感じで、小説好きにはたまらない。最初の一行を読み始めた途端に、その物語の世界に引きずり込まれてしまう。そして、読み終えた後に感じる心の静けさは、静かな森の奥に存在する、波ひとつない湖のようである。その湖は穏やかだけれど、深く、美しい。素晴らしい小説を読む時に私が感じるこういった思いをとても上手く表現した一文が、現在読んでいるポール・オースターの作品の中に登場する。柴田元幸さんならもっと上手い訳をするところだけれど、こういう文である。
「本を読むことは、私にとって、逃避であり、生活を楽にするものであり、慰めであり、好みの興奮剤であった。私は、純粋な喜びのために本を読み、作者の言葉が自分の頭の中で響き渡る時に感じる美しい静寂のために、本を読んだのだった。」 ※
カポーティのこの小品集に収められた作品は、オースターが (正確には、オースターの書く主人公が) 語るこの条件を全て、しかも完璧なやり方で満たした、非の打ち所のないものばかりである。

『ティファニーで朝食を』 は、オードリー・ヘップバーンが出演した映画が有名であるが、この映画は原作とは、内容も、登場人物のキャラクターも、全体の雰囲気もかなり違っている。そして私は、この作品は原作の方がずっと好きだ。特に物語を締めくくる最後の1ページがすごい。過去の回想から現在に戻るこの物語のラストは、読み手をぐいぐい引っ張って、たたみかけるように切ない気持ちにさせて終わるのである。これはこの短編集の最後に収められた 『クリスマスの思い出』 にも言えることだけれど、カポーティのエンディングには、人の心をぐらぐらと揺さぶり、胸をかき乱す力がある。もうひとつの短編、『ダイアモンドのギター』 のラストもすごい。この最後の一文を読んだ時に、私の心臓はどきりと鳴り、頭はぐらりと揺れた。
こういう本を読んだ後は、原作を原語で読むことの喜びを感じる。この本の前は小難しい文体で書かれたクラシック音楽とピアノに関する学術書を読んでいたこともあり、カポーティのシンプルで軽快で美しい文体は、爽やかに、それでいてしっかりとした存在感を持って私の心に響いたのである。「そうそう、やっぱり読書はこうでなくっちゃ。」 という感じで、心から楽しんで読むことができた。日本では近年、村上春樹氏の訳でこの本が出たそうで、彼の文体はこれらの作品の持ち味を表現するのにぴったりであろうと想像する。興味があるので村上訳を読んでみたい気もするが、そうすると原文を読んで得た自分なりのイメージが変わってしまうのではないかという危惧の念もあり、その楽しみはしばらく先までとっておくことになりそうである。
※ Reading was my escape and my comfort, my consolation, my stimulant of choice: reading for the pure pleasure of it, for the beautiful stillness that surrounds you when you hear an author’s words reverberating in your head. – “The Brooklyn Follies” by Paul Auster
LiLA管理人 のコメント
8月 17, 2009 に 7:00 am
ゆったりした湯船があるんですね.ホテルの風呂でのんびり本を読む事があるんですが,水に濡れないようにするのって難しくないですか?
日本で大量に買い込んできた本の中に,村上版ティファニーがあるんですが,まだ手をつけていません.翻訳された小説ってどこか原作の文体の力を削いでいるような気がするのですが,この翻訳はいいのではないかと,ちょっと楽しみにしている一冊です.英文は,仕事では読むのですが,アフター5だとやっぱり日本語が読みたいと思う軟弱モノです.
Yuki のコメント
8月 17, 2009 に 8:52 pm
>LiLA管理人さん
お風呂で読書は、コツを掴めば簡単にできますよ。たまに手がすべってどっぷんなんてこともありますが、乾けば紙がぼこぼこになるとはいえ読むのに支障はないですし、本は使い込んでなんぼのものだと思っているので、どうってことはないです。傷んだら困る本はさすがに持ち込みませんが・・・。
私も日本語で読む小説がもっぱら好きなのですが、英語のものの方がやはり手に入りやすいですし、また今回のオースターの作品のようにまだ日本語訳が出ていない場合もあるので、英語で読むことも多いです。村上訳は良さそうですね。読んだら感想をアップしてください。
Mev のコメント
8月 21, 2009 に 2:26 am
トルーマン・カポーティ読みたくなりました。昔訳本読んだけど忘れちゃいました~。
そういえば、長男が、「村上春樹はなぜ外国人に受けるか」ということを尋ねてきたときに、内容が日本固有の文化にとどまらない面白さがあるということのほかに、「英語に翻訳しやすい文体」だからだろう、と答えました。 村上春樹は日本人好みの「私」小説でありながら、荒唐無稽の事件が起こったりし、さらに英語をそのまま日本語に訳したような文体で書いてある。つまり、これは英訳しやすいわけで、訳がスムーズであれば意図が伝わる、だから読者を獲得できるというふうに思ったわけであります。 そういう意味では、もっと日本文学がうまく外国語に翻訳されれば、日本文学も評価されるかも。 MANGAだけじゃなくて言葉で日本文学を伝える方法が磨かれてほしいですねー。
すみません、主題から外れたコメントで。
Yuki のコメント
8月 21, 2009 に 11:11 pm
>Mevさん
村上春樹さんの小説は、何冊か英語でも読んだことがあるのですが、違和感なく読むことができました。日本語で読んだのは何年も前で、すっかり内容を忘れていたので、一小説としてただただ楽しんで読んだ記憶があります。
カポーティも、今になって村上訳が出たというのは、とても意味があることだと思います。
takaryuu のコメント
8月 23, 2009 に 3:27 am
イギリスには日本のような風呂場があるのですか?
昔風呂に入って、体の前に蓋を置いて、「おはらしょうすけさん」みたいにお酒の準備をして飲んだことがあります。
読書にもよさそうじゃあない?
Yuki のコメント
8月 23, 2009 に 2:33 pm
>takaryuuさん
イギリスのお風呂は、湯船はありますが、日本のような洗い場はありません。蓋もなしです。バスルームには大抵、トイレがあります。ホテルのお風呂みたいな感じです。
お風呂でお酒って楽しそうですが、私は体質的にほんの少ししか飲めないので、お風呂なんかでのんだら回りが速くて大変なことになりそうです。