新しい命
叔母の葬儀から帰って来た母と電話で話していて、また驚きの知らせを受けた。なんと、葬儀をした日に、叔母の長男の赤ちゃん (女の子) が生まれたのだという。予定日は10月だったというから、かなり急いで生まれてきたことになる。更に偶然にも、当初の予定日が叔母の誕生日と一緒だったというから、何とも不思議なものである。

母との電話を切って散歩に出たら、自然と微笑みが浮かんできた。しかし、初孫の顔を見ることなく逝ってしまった叔母のことを思うとやはり切なくなって、泣き笑いのような顔をしていただろうと思う。叔母の死が辛く悲しいことであるのは代わりないけれど、この新しい命の誕生のニュースが鬱々としていた私の心に光を射してくれたのも事実である。この子が誕生した時の話は、いとこ達兄弟の間で、また私達親戚の間で、代々語り継がれて行くだろうと思う。色々な思いが交錯する今日この頃である。
祈りをこめて
父や夫を若くして亡くした私は、「人の命は、ある日突然に終わってしまうということもあるのだ」 ということをいつも自分に言い聞かせ、いざという時に後悔しないように生きているつもりであった。しかし先日、親しい者の突然の訃報に触れ、まだまだその覚悟は足りていなかったのだと思い知らされた。昨日まで笑っていた人が、こんなに簡単にいなくなってしまうこともあるのだ、と。
悪いことは立て続けに起こるものである。祖父の訃報に続いて、叔母の訃報を受けた。元気で若々しい叔母の、あまりに急な死の知らせに、訃報を受けた日はただただ動揺するばかりで、涙も出なかった。次の日の午後になってようやく悲しみが襲ってきて、久しぶりに声を上げて泣いた。散歩をしながら叔母やいとこ達のことを考えていたら急にたまらなくなって、歩くことができなくなってしまった。身体を半分に折るようにして、前かがみになって泣いた。芝生に座り込んで泣いた。仰向けに寝転んで、天を呪いながら泣いた。
叔母は本当にまっとうに、人一倍苦労して生きてきた人である。若いうちに夫を亡くし、一人で三人の息子を育て上げた。シングルマザーなどという言葉もまだない時代に、それは本当に本当に大変なことだっただろうと想像する。そういう母親の姿を見てきた息子達は皆、心優しいいい男達に育った。私のようなドラ娘とは違って、親思いで家族思いの、心根の優しい子達である。三人とも、家計に負担をかけないように、奨学金を得たりアルバイトをしたりしながら大学を卒業して就職をした。経済的なことの他にも、父親がいないということで担った苦労は多かったはずである。そんな彼らが、どうしてこんな思いをしなくてはならないのか。汗水たらして働いてきた叔母は、やっと息子達が自立したという矢先に、誰にも看取られることなく、さよならを言うことさえできず、どうしてこんなに突然に死を迎えなくてはならなかったのか。そう思うと、やるせなさと、誰に向けるわけでもない怒りとで、私の心はいっぱいになる。
叔母は北海道の出身で、結婚後は千葉に住んでいた。夫を亡くした後も、実家があり兄や姉がいる北海道に戻ることなく、ほとんど絶縁状態だった夫の実家にはもちろん頼ることもなく、文字通り一人で家族を守ったのである。状況は違うけれど、私も夫を亡くした後、家族の強い反対を押し切って、頑なにイギリスに残ると言い張ったのだった。だから私は、叔母のこの気持ちがわかる気がする。そして、同じく何の前触れもなく、看取ることもできずに夫を亡くした経験を持つ私は、まだ若いいとこ達が感じているであろう無念さや、やり場のない怒りや悲しみが痛いほどわかるのである。
人生とは全く不公平で、理不尽なものである。それでも、残された者は生きて行かなくてはならない。今は悲しみと無念さでいっぱいでも、いつかきっと、思い出が残された者の心を温め、励ましてくれる日が来る。いつも前向きで元気だった叔母が望んだのは、きっとそういうことだったに違いない。
そんな気持ちをこめて、私の心に一番強く残っている叔母の思い出を書いてみようと思う。いとこ達や、叔母の兄や姉達 (私の母を含む) の悲しみが、一日でも早く癒されますように、という祈りをこめて。
私がまだ学生で、東京に住んでいた頃、何度か叔母のアパートにお邪魔したことがある。その日の夕飯は豚カツで、私も手伝いのようなことをしながら二人で一緒にカツを作って揚げた。カツはいとこ達の分も作ったのだが、叔母は、揚げるのは私達二人の分だけでいいと言う。叔母と私が夕飯を食べ終え、しばらく他愛のない話をしていたところに、三男が帰ってくる。すると叔母は、三男のためだけにカツを揚げる。そして、カツを揚げながら、息子が夕食を食べるのを見ながら、その日あったことなどの話を聞く。またしばらくして次男が帰って来た時も、同じことが繰り返される。いとこ達はその頃、部活や塾やアルバイトなど、それぞれに忙しくて帰宅時間がばらばらだったのだが、叔母はその都度、油を温め直してカツを揚げていたのである。そんな面倒なことするなんて信じられない、と驚く私に、だって揚げたての方がおいしいじゃない、と叔母はさも当然のことのように言った。一日中働いて自分だって疲れているだろうに、それでも尚、息子達に揚げたてのカツを食べさせる労力を惜しまない、そんな人だったのである。そしてそういう叔母の思いは、彼女の素晴らしい息子達に引き継がれていくに違いない。
亡き祖父を思う
母から電話があって、祖父が他界したという知らせを聞いた。93歳という高齢で、寝たきりの入院生活が長く、医者からあまり長くはないだろうと言われていた状態だったので、知らせを受けた時も驚きはしなかった。しかし、電話を切った後、「そうか。でもしかたないよな。」 などと思いながら食器を洗っていると、感情がみるみるうちに波立って、ぼろぼろと涙がこぼれてしまったから困った。祖父はあまり口数の多い方ではなかったし、それは私も同じで、特に思春期に入ってからはあまり込み入った話は家族とはしないようになったので、目と鼻の先に住んでいながら、祖父とたくさん話をしたという記憶はない。それでもやはり、温かい思い出はこの胸にたくさん残っているし、家族として一緒に過ごした年月は大きな意味があったのだと思う。そしてきっとそういうものが、私に涙を流させたのだろう。
葬儀には参列できないので電報でも打とうと思ったのだが、いざ文章を考え始めると、どうも嘘臭いものになってしまう。告別式で読み上げられるかもしれないと思うと、何だかよそよそしい文章になって、本音で書けないのである。結局、電報はあきらめて、心の中で祖父のことを思い出し、冥福を祈り、ブログで彼のことを少し書いてみようということにした。
祖父は、鼻が高くて彫りが深く、とてもハンサムな顔立ちであった。若い頃の写真を見ると、外国の映画スターのようで、自分の祖父だということを忘れて惚れ惚れしてしまうほどである。第2次世界大戦中は兵役についたが、戦場の過酷さと悲惨さに耐え切れなくて、隊を脱走したという話を誰かから (父だったように記憶している。) 聞いたことがある。それはおそらく、戦場に残るのと同じくらい (もしかしたらそれ以上に) 勇気のいることだっただろうと想像する。
私の中で強く残っている祖父のイメージは、山を歩く姿である。晩年は身体を壊して思うように動けなくなってしまったが、それまでは文字通り毎日、勾配の強い近くの山を散歩していた。私も小さい頃に何度か連れて行ってもらったが、幼な心に、「こんなところ、よく毎日登るなあ。」 と思ったものである。毎日通っていると、木々が 「やあ、今日もよく来たね。」 と話しかけてくれるようになるのだと言っていたのを今でも覚えている。絵画にも興味を示していたし、自然や美しいものに対して豊かな感受性を持っていた人なのかもしれない。
最愛の息子 (私の父) に先立たれ、「長生きもするもんじゃないな」 などと言っていたこともある祖父だが、願わくば、最後の入院生活が彼にとってそれほど辛いものでなく、安らかな気持ちでこの世を後にしたのであってほしい。お疲れ様でした。どうもありがとう。ゆっくりと休んでください。

写真は、右上が祖父、その隣が母、祖父の膝の間で生意気そうな笑顔をしているのが兄 (姪っ子にそっくりである。)、その隣が祖母、一番下で指をくわえているのが私。写真を撮ったのは父であろうと思われる。
明日は祖父のことを思って、たくさんピアノを弾こうと思う。
忌野清志郎を偲ぶ - その6 ・ 彼女の笑顔
昨日は私の35回目の誕生日。35歳というのは、私の最初の夫が死んだ歳で、自分がその年齢になるというのは、ちょっと感慨深いものがあります。死んだ子の歳を数えるとはよく言いますが、私は死んだ夫の歳は数えない。私の中での彼の時間は、35歳のままストップしています。
さて、昨日は夫と彼の家族、友人達のおかげで、素晴らしい一日となりました。私は夕方に仕事がひとつ入っていたのですが、その合間を縫って、友達が遊びに来てくれたり、散歩に出たり (幸運なことにお天気でした)。 夜は夫の家族とベジ・フレンドリーなかわいいレストランで食事をして、その後、義母の手作りケーキでお祝いをしてもらいました。私は幸せ者です (泣)。みなさんどうもありがとう。毎年のことですが、ケーキを囲んでみんなが歌を歌ってくれて、ろうそくを吹き消す瞬間は、じ~んとしてしまいました。メイク・ア・ウィッシュ。大好きな人達に囲まれて、私が祈ることはたったひとつしかありません。


それほど料理が得意なわけでもないのに、おいしい朝ごはん (レモンといちごのパンケーキ) と昼ごはん (チーズとマッシュルームのパンケーキ)、更にケーキまで作ってくれた夫には、特に感謝しています。ケーキは前日に何時間もかけて作っていて、「何をそんなに時間をかけて作っているんだ?」 と思っていたのですが、当日になってびっくり!ストロベリー・ショートケーキでした!私が 「いちごショートケーキが食べたいなあ。」 といつもぼやいているのを聞いて、レシピを探して作ってくれたのであります。お菓子作りなんてほとんどやったことのない人がストロベリー・ショートケーキだなんて、そりゃあ時間もかかるはずだわ。スポンジはふくらみが足りなくて、見かけもちょっとひしゃげていたけれど、私には彼の気持ちがとてもうれしくて、目を潤ませておいしくいただいた、最高のケーキ。

そんな幸せな一日、私の頭の中では、清志郎の 『彼女の笑顔』 という歌が鳴り続けていたのでした。「忌野清志郎を偲ぶ - その2」 で紹介した、『Memphis』 というアルバムに入っている曲です。愛 (なんて言葉を使うとちょっと照れるけれど。) や人生について考える時の私の価値観にぴったりとくる、大好きなナンバーです。
>彼女の笑顔 - 忌野清志郎 with Booker T. & the MG.’s
結婚の意味というのは人によって違うものだと思いますが、私が夫と結婚したのは、生活の安定を求めていたからでも、養ってもらいたかったからでも、30歳を超えてあせっていたからでも、子供が欲しかったからでも、前の夫の死によって自暴自棄になっていたからでもなくて、彼とひとつの家族になって、人生を一緒に歩んで行きたいと思ったからに他なりません。彼と一緒なら、私の人生は数倍幸せなものになるだろうと思ったし、私も彼をもっともっと幸せにしたいと思った。ただそれだけだったのであります。そんなことを改めて感じた35歳の誕生日でした。
骨の髄まで
うちでは11月から4月にかけて、行事が目白押しである。義姉の誕生日が11月、義母の誕生日が1月、夫の誕生日が4月。その他にも家族行事としてはクリスマス、母の日、イースターがあり、他にも大晦日、ニューイヤー、節分、バレンタインズ・デー、パンケーキ・デー、ひな祭りなども加わる。更にその間、誕生日のある友達が4人。そんなこんなで、4月15日に私達の結婚記念日が来る頃には、二人とももうほとんど 「そんなのもうどうでもいいや。」 という気分になっているのが事実。それにやはり、結婚で大切なのは毎日の生活であって、記念日はそれほど重要ではないと私なんかは思ったりもする。
というわけで、本日は結婚記念日。昼間からシャンペンを開けてぐうたらと過ごす以外に、特に何もせず。一応、簡単なケーキくらい作るつもりでいたのだが、昨晩、義母がお祝いにと手作りのケーキ持参で訪ねて来てくれた。きれいに飾り付けされた豪華なケーキで、適当にチーズケーキでも作ろうと思っていた私は、ひたすら恐縮したのであった。いくら私が記念日に重きをおいているわけではないとは言え、こうして誰かが覚えていてくれるというのは、やはり嬉しいものである。しかも、当日は二人で過ごしたいだろうからと、前日に届けてくれるという心遣い (涙)。毎度の事ながら、義母の作るケーキは感動的においしい。

さて、先日観に行ったブルース・フェスティバルで、Doug MacLeod というアメリカのブルースマンが、「俺は、骨の髄までお前の愛を感じるんだ」 という内容の曲を演奏した。この曲を演奏する前に彼が曲の説明をしたのがとても印象深かったので、ここで紹介する。
「人生のどんなに辛い時、過酷な時でも、愛する人がそばにいてくれる。彼女の愛は、自分がどんな苦境に立っていようが、変わらない。どうしようもなく落ちこんでいる時、手や膝や肩に、彼女がそっと手を置く。すると、彼女が手を置いたその場所から、彼女の愛を感じることができる。どんなにしんどい時でも、彼女は俺を愛してくれるのだと確信できる、そういう愛。それが彼女の手から伝わってきて、骨の髄まで届いて感じるんだ。そして、よし、俺は大丈夫だ、と思うことができる。そんな誰かを、ここにいる皆が持っていることを願っている。もしまだ持っていなかったとしたら、これからそんな相手を見つけられることを願っている。」
ハレルヤ
最近、家で仕事をすることが多い夫。隣の部屋から、独り言や叫び声はもちろん、各種swear wordが聞こえる毎日です。IT職というのは、精神に良くないような気がしますね。そういう私も、ピアノを弾きながら独り言を言ったりうなったりしているので、まあお互い様なのですが。音楽家とIT職人は、なんとなく似たところが多いような気がします。仕事をしていると頭がハイになるところとか。
この2~3日も、急な仕事が入って、集中して仕事をしていた夫。昨晩はめずらしく静かに仕事をしていて、「今日は静かだなあ」と思っていたら、「ハーレルヤ、ハーレルヤ、、、」と歌う声が。仕事中に夫が漏らすノイズにはもう慣れたのですが、この時ばかりは、さすがに何事かと思って(ついに頭がいかれたのかと思った。)、隣室まで様子を伺いに行きました。すると、これまでずっと悩んでいた問題が、ついに解決したのだそうです。ちなみに今は、口笛が聞こえてきます。きっと調子が良いのでしょう。
Scam mail, Tarte aux pommes
毎日、山のように受け取るスパム・メール。その中で、最近よく見かけるのが、この手のメール。
こんにちは。私の名前はマリア・ジャン=ピエールです。パリに住んでいます。インターネットであなたの名前を見つけました。今月の末から、息子のアンリがイギリスに5ヶ月ほど滞在する予定なのですが、その間、彼にレッスンをしていただけないでしょうか?
1.1時間のレッスンを週2回、4ヶ月間お願いする場合の費用
2.空いている日時
3.レッスンの場所と住所
を教えていただけたら、息子がイギリスへ行く前に、費用をお送りします。
お返事、お待ちしています。
初めてこの手のメールを受け取った時には、「あやしいなあ、どうせスパムだろうな」 とは思ったのですが、念のため、コンピューター職人である夫に確認。するとこれは、”Check overpayment scam” というスキャム (詐欺) メールなのだそうです。こちらの指定した金額よりも多い額のチェック (小切手) が送られてきて、その後、「金額を間違えたので、小切手のお金を口座に入れて差額を送り返して下さい」 と要求。こちらが差額を送ると同時に、小切手はキャンセルされて、口座からは小切手のお金が全て消えている、、、という仕組みらしいです。ネット上の詐欺は、あの手この手で攻めてきますね。気をつけなくては。
さて、今日はブリストルに住んでいる日本人のお友達、まきさんが遊びに来てくれました。写真はまきさんが持って来てくれた、りんごのタルト (tarte aux pommes) 。さっぱりしていておいしかった! 「あんまりイギリスっぽくなくておいしい」 と二人で意見が一致したのが笑えます。まきさん、今日はありがとう。また遊びに来てね!
ラディッシュおろし
今日は、ブリストルに住む日本人の女性に会った。最近、このブログを見つけてメールをくれた方で、偶然にも家が目と鼻の先だったいうこともあって、お茶をすることにしたのである。ブラインド・デートのようで (爆) ちょっとどきどきしながら待ち合わせの場所に行ったのだけれど、そこに現れたのは、かわいらしくて、自分が何が好きで何をやりたいのかということをきちんと知っていて、夢もしっかり持っている素敵な女性であった。素敵な年上の女性に会うと、私はいつもうれしくなる。私は腹を割って自分のことを話せるようになるまでに時間がかかる方だと思うのだけれど、彼女には不思議に心を開くことができて、普段なら初対面では適当にごまかすようなことも (ブリストルに住むようになった経緯とか)、すんなりと話すことができた。またお会いできる日が楽しみである。
さて、今日の料理は和風きのこスパゲッティ。ラディッシュを食べるたびに思うのは、つーんと辛い大根みたいだなあ、ということ。日本名も 「ハツカダイコン」 だし。そこで、ラディッシュをおろして大根おろしの代わりにしてみることに。ただし、小さなラディッシュをひとつひとつおろすのは大変なので (怪我もしそうだし)、フードプロセッサーでがーっとやっただけ。かわいいピンク色のラディッシュおろしのできあがり。味はそのまんま大根おろし。チャイニーズ・マーケットに行けば大根も手に入るのだけれど、毎日行く所ではないので、手軽に大根おろしが食べたい時にはすごく便利かも。
Shiny person
先日、久しぶりにエイドリアンと会った。エイドリアンは数年前までブリストルに住んでいた、私と夫の共通の友達である。彼は私と同い年なのだけれど、まだ若い頃に脳の手術の失敗が原因で、視力を失ってしまった。それから自暴自棄になって、かなりむちゃなことをした時期もあるらしい。人生の理不尽さを身に染みて知っている人であり、悲しみと絶望のどん底から這い上がってきた人である。私も20代のうちに突然の事故で夫を亡くしたりしているので、彼の感じた悲しみや怒りや絶望はほんの少しだけれどわかるような気がする。
エイドリアンと一緒にいて実感するのは、この世の中がマイノリティにとっていかに不便にできているか、ということである。視覚障害者として生活することが大変であろうことは少しは想像がつくけれど、実際に彼の家に泊まりに行ったり一緒に外出したりするたびに、想像することと実際に生活することのギャップを思い知らされる。例えば、家に一人でいる時にはつけない部屋の明かりを、私達のためにエイドリアンがつけてくれる時、私の胸はずきんと痛む。ビタミン剤を探しているエイドリアンに 「このオレンジの?」 と聞いてしまった後、はっとして謝る馬鹿な自分がいる。
そんなエイドリアンであるが、彼は周りの人間に対して、ものすごく洞察力がある。ある時、私はじっとエイドリアンを見つめていたことがあった。別に何かを考えていたわけではなくて、ぼーっとしていて、何の意識もせずにただ見つめていたのである。するとエイドリアンは 「何でそんなに見つめてるの?」 と聞いてきた。びっくりした私は 「あ、いや、エイドリアンが好きだからだよ」 と答えるしかなかったのである。私が現在の夫に好意を抱いていることにいち早く気づいたのも、エイドリアンであった。誰にも言っていなかったにもかかわらず、エイドリアンは私の心の動きを目ざとく読んだのである。また先日は、別れ際にハグをした後、”Keep Shining! You are shiny person.” と言ってくれた。誰に言われてもうれしい言葉だとは思うけれど、エイドリアンが言ってくれたことが私にはとてもうれしかった。それはたぶん、目には見えない輝きなのであろうから。
エイドリアンは最近、素敵な恋人と婚約をして、とても幸せそうである。自分で始めたビジネスも、大変そうではあるが順調なようだ。部屋の明かりはエイドリアンにとって意味を成さないけれど、太陽の光は万人の上に平等に降り注ぎ、彼の心と身体を温める。そんな太陽の光のような幸福が、これからも彼にたくさん訪れることを願っている。
アムステルダムからの便り
先日、アムステルダムに住むオランダ人の友人夫婦から、小包が届きました。私達夫婦とはかなり年齢差があるのですが (旦那さんは私達の祖父くらい、奥さんは母親くらいの年齢) 大好きで大切な友達です。「来年もまた会おうね!」 と書いたクリスマスカードを、去年彼らがブリストルに来た時の写真と共に送ったら、クリスマスの日にメールが来ました。内容は、「もちろん来年も会いましょう!近いうちにアムステルダムに遊びに来てね。その気にさせるために、こちらから小包を送ります」 というもの。わ~、なんだろ、なんだろ、、、と楽しみに待つこと数週間。届いたものは、アムステルダムのTシャツでした。
Mark Raven というオランダの画家の絵がプリントされています。写真では見えないですが、袖と首周りがカットオフのデザインになっていてかわいい!うれしいよう。明日のライブで着よう!!
アムステルダムは大好きな街なので、小包なんか送ってくれなくても既に行く気は満々だったのですが、このTシャツが届いてその思いが数段強くなりました。


