David Bowie – Heroes
久しぶりにデヴィッド・ボウイの映像を見たら、彼の夢を見てしまいました。ああ、なんて単純な私の脳みそ。
>David Bowie – Heroes (live)
このライブはたぶん2003年か2004年に行われたもので、ボウイは56歳か57歳だと思うのですが、なんて素敵でチャーミングでセクシーで格好が良いのでしょう。惚れ惚れしてしまう。
私が一番好きなボウイの作品は、70年代のものです。”Let’s Dance” までは全て好きですが、中でもこの “Heroes” は思い入れが強くて、ちょっと元気のない時などに聞くと勇気が出てきます。「誰に何と言われようが、私は私の道を進んで行くしかないのだ。」 という気持ちになり、心が自由になるのです。

写真は、アルバム “Heroes” のジャケット。つい最近まで知らなかったのですが、この写真を撮ったのは、鋤田正義さんという日本人のカメラマンなのだそうですね。マーク・ボランがすごく気持ち良さそうにギターを弾いているあの有名な写真も、この方によるものだというのを知って、驚いたのでした。
ゾルターン・コダーイ
先日、バルトークに再びはまっているという記事を書きましたが (>弦チェレ)、それに伴って、これまた再びはまっているのが、バルトークと同じくハンガリーの作曲家コダーイ。一緒に民俗音楽を収集するなど、バルトークとは仲良しさんだったようです。そんなつながりを辿って、バルトークにはまった時期に、コダーイの音楽もよく聞いていました。その作曲の手法はバルトークほど画期的なものではありませんが、その分、民俗音楽的特色が強く、バルトークの作品のような難解さがなくて、親しみやすいのではないかと思います。特に好きだったのが、『ハーリ・ヤーノシュ』 からの第5曲目、「間奏曲」。ツィンバロンという民俗楽器が活躍します。こういう哀愁漂うメロディーは、日本人の心にも通じるものがあるのではないでしょうか。
>Kodaly: Hary Janos mov.5 Intermezzo (with Cimbalom)

踊りつきバージョンも見つけて、おもしろかったのでこちらもアップしたいと思います。
>Kodály Zoltán: Háry János – Intermezzo
バルトークの音楽から私がイメージするハンガリーの踊りはこんなに優雅なものではなくて、もうちょっと原始的でワイルドなものなのですが、たまに入る手拍子とか、2:00あたりから始まる足踏みダンスなどが、私が感じるイメージとかなり上手く重なります。昨日の弦チェレだと、チェレスタがテーマを美しく神秘的に奏でて (5:52あたり)、その後にピッツィカートの 「バチン」 という音が入りますが、これは正しく手拍子か足踏みの音だという気がします。そしてその後に、ずんっずんっと続く野蛮なリズム。ああ、たまらない。血がどくどくと騒ぎます。って、コダーイのことを書くはずが、またバルトークの話になってしまいました。
弦チェレ
大学時代、バルトークにものすごくはまっって、ピアノ曲はもちろん片っ端から弾いて、ピアノ以外の曲もスコアを見ながら聞きまくった時期があります。私は大学時代、留学時代は、進むべき道が見えなくて悶々とした生活を送っていて、今思い出だしても心が暗くなることも多いのですが (楽しい思い出ももちろんたくさんありますが。)、大学に素晴らしい図書館があったことは、あの頃の私が得た良い経験のひとつだと思っています。バルトークにはまった時期も、この図書館で楽譜とCDを借りて、試聴室に入り浸っていました。
さて、最近よく聞いているのが、「弦楽器・打楽器・チェレスタのための音楽」。当時も大好きでしたが、久しぶりに聞いて、またはまってしまいました。どの楽章も素晴らしいですが、私は特に第4楽章が好きです。バルトークが自身の作曲によく取り入れた民俗音楽的要素の強い、躍動感あふれる楽章。
>Bartók Music for Strings, Percussion and Celesta (IV) Dohnányi, NDR SO
私はバルトークを聞くと血が騒いで興奮してしまうのですが、大学時代にレッスンに持って行ったら、先生に、「私、こういう土着っぽいのはちょっと・・・」 と言われてしまったのでした (笑)。結局、「あなたには合うみたいねえ」 と言って見てくれたのですが、「血が騒ぐんです」 と言ったら、ちょっと引かれてしまいました (笑)。この先生はパリでイヴォンヌ・ロリオ (メシアンの奥さん) のもとで勉強した方で、なるほどそんなものなのかなあ、と思っていました。私はバルトークもメシアンも両方好きなんだけどなあ、と。
その後、バルトークの楽曲分析をするクラスを取ったのですが、私の年度末のレポートを見たそのクラスの先生が、わざわざ私の家に電話をくれて、「そうそう、血が騒ぐのよねえ」 などと言って、もりあがったこともありました。久しぶりに弦チェレを聞いて、そんなことを懐かしく思い出しながら、またバルトークを弾こうかなあなどと思っています。
Freddie & the Dreamers
毎度のこととはいえ、今日もこちらの人々の働きっぷりの悪さを痛感。その分日本にはない良い面もあるわけだし、フランスに比べたらまだずっとましだし、いちいち怒っていては身が持たないから、あまり腹を立てないようにしようとは思っているのですが、それでもたまにキレてしまうことがあります。電話だったのですが、相手のあまりに無礼で理不尽で横暴な態度に、「stay cool, stay cool 」 と自分に言い聞かせても、怒りで声が震えてきてしまう。こういうことがあると、精神的にすごく消耗するのはもちろん、時間の無駄でもあり、それもまた痛いです。
こういう時はこんな映像を見て、頭をアホにするに限ります。
>BBC Blue Peter 60s with Freddie & the dreamers!
数日前に夫が教えてくれたもので、私のツボにかなりはまりました。Freddie & the Dreamers って私は全く知らなかったのですが、イギリスではけっこう有名みたいですね。この映像はBBC の Blue Peter という子供向け番組に出演した時のもので、私はてっきり子供向けにこんな振り付けをして演奏しているのだと思ったのですが、実はそうではなくて、この人達はいつもこんな振り付けつきらしいです。こんなのもあります。疲れないんですかね?
>Freddie and The Dreamers – I’m telling you now
かなりアホっぽいですが、みんなスーツなところがイギリスっぽくていいですね。私は若い頃に、70~80年代のブリティッシュ・ロックにはまったことがあるのですが、その魅力のひとつはファッションだったと思います。スーツでロックもそのひとつ (この人達はロックとは言い難いですけどね・・・)。スーツなんて普段は好きでも何でもないですが、こういう使われ方をすると、なかなか格好が良いと思います。あの頃の (といってもほとんどはリアル・タイムで聞いていたわけではないのですが。) ブリティッシュ・ロックは本当に良かった。
これ (最初の映像) を見た日から、夫のいる部屋に用事があって行く時は、いつもこのステップで入って行く私であります。用事がない時も、このステップで部屋の前を行ったり来たりして、開いているドアの隙間からアピール。ああ、しつこい。
マイケル・ジャクソン R.I.P.
昨晩、パブでこのニュースを耳にした。友達と話していたら、私達のテーブルに見ず知らずの人がやって来て、「話中、ごめんね。マイケル・ジャクソンが死んだんだって。」 と言って、一同騒然となったである。えーっ!ウソだろ!というのが全員の最初の反応で、それから、「ひどく残念だ。彼の家族に同情する。」 と言う人がいれば、「俺には子供がいるんだ。あいつのやったことは許せん。死んだってなんとも思わない。」 という人がいて、それに対して 「彼は嵌められただけて、本当は何もやっていない。」 と言う人もいる。「ジャクソン・ファミリーの人生はみんな滅茶苦茶だ。その中でもマイケルはまともな方だった。」 と言う人もいた。色々な意見が飛び交う中で、マイケル・ジャクソンなんか大嫌いだという人も含めて、一同が同意したのは、「マイケル・ジャクソンは素晴らしいミュージシャンで、エンターテイナーだった。」 ということである。

私ももちろん、これには同意である。スキャンダルの多かった彼の人生だが、そのどこまでが真実だったのかはわからない。もしかしたら、本人さえもわかっていなかったのかもしれない。こうして人生を終えることによって、やっと心の平安を得ることができたのかもしれないなどとも思う。何れにせよ、素晴らしい才能をもった少年の人生の歯車がどこかで狂ってしまったことは確かなようで、それはひどく悲しいことである。
忌野清志郎を偲ぶ - その6 ・ 彼女の笑顔
昨日は私の35回目の誕生日。35歳というのは、私の最初の夫が死んだ歳で、自分がその年齢になるというのは、ちょっと感慨深いものがあります。死んだ子の歳を数えるとはよく言いますが、私は死んだ夫の歳は数えない。私の中での彼の時間は、35歳のままストップしています。
さて、昨日は夫と彼の家族、友人達のおかげで、素晴らしい一日となりました。私は夕方に仕事がひとつ入っていたのですが、その合間を縫って、友達が遊びに来てくれたり、散歩に出たり (幸運なことにお天気でした)。 夜は夫の家族とベジ・フレンドリーなかわいいレストランで食事をして、その後、義母の手作りケーキでお祝いをしてもらいました。私は幸せ者です (泣)。みなさんどうもありがとう。毎年のことですが、ケーキを囲んでみんなが歌を歌ってくれて、ろうそくを吹き消す瞬間は、じ~んとしてしまいました。メイク・ア・ウィッシュ。大好きな人達に囲まれて、私が祈ることはたったひとつしかありません。


それほど料理が得意なわけでもないのに、おいしい朝ごはん (レモンといちごのパンケーキ) と昼ごはん (チーズとマッシュルームのパンケーキ)、更にケーキまで作ってくれた夫には、特に感謝しています。ケーキは前日に何時間もかけて作っていて、「何をそんなに時間をかけて作っているんだ?」 と思っていたのですが、当日になってびっくり!ストロベリー・ショートケーキでした!私が 「いちごショートケーキが食べたいなあ。」 といつもぼやいているのを聞いて、レシピを探して作ってくれたのであります。お菓子作りなんてほとんどやったことのない人がストロベリー・ショートケーキだなんて、そりゃあ時間もかかるはずだわ。スポンジはふくらみが足りなくて、見かけもちょっとひしゃげていたけれど、私には彼の気持ちがとてもうれしくて、目を潤ませておいしくいただいた、最高のケーキ。

そんな幸せな一日、私の頭の中では、清志郎の 『彼女の笑顔』 という歌が鳴り続けていたのでした。「忌野清志郎を偲ぶ - その2」 で紹介した、『Memphis』 というアルバムに入っている曲です。愛 (なんて言葉を使うとちょっと照れるけれど。) や人生について考える時の私の価値観にぴったりとくる、大好きなナンバーです。
>彼女の笑顔 - 忌野清志郎 with Booker T. & the MG.’s
結婚の意味というのは人によって違うものだと思いますが、私が夫と結婚したのは、生活の安定を求めていたからでも、養ってもらいたかったからでも、30歳を超えてあせっていたからでも、子供が欲しかったからでも、前の夫の死によって自暴自棄になっていたからでもなくて、彼とひとつの家族になって、人生を一緒に歩んで行きたいと思ったからに他なりません。彼と一緒なら、私の人生は数倍幸せなものになるだろうと思ったし、私も彼をもっともっと幸せにしたいと思った。ただそれだけだったのであります。そんなことを改めて感じた35歳の誕生日でした。
忌野清志郎を偲ぶ - その5 ・ すべてはALRIGHT
音楽には、人の気持ちをタイムトリップさせる力がある。昔よく聞いていた曲を久しぶりに聞くと、すっかり忘れていたその頃の気持ちがありありとよみがえってくる。そんな力が音楽にはあると思うのだ。そういう意味で、音楽とは人生の宝のようなものであると私は思っている。思春期に聞いた他愛のない (でも狂おしく愛しい) ロックンロールが、20年以上も経った後に、その人の心を暖めたり勇気付けたり叱咤したりすることが、人生には確かにあるのである。私は自分の思春期を振り返ると、若かったから仕方がないとはいえ、無駄な努力ばかりして空回りしていたなあと思うことが多いのだけれど、色々な音楽を聞いたりライブに足を運んだりしたことにおいては、「よくやった」 と自分に言ってやりたいと感じている。私の心の中の引き出しには、今でもそういう宝物のような音楽がたくさん詰まっているからである。そしてそういう夜道の街灯となってくれるような物なしには、時にはひどく理不尽な人生というものを歩んで行くのは、数倍大変なことであるに違いない。

『すべてはALRIGHT (YA BABY)』 は、数多くのRCサクセションの曲の中でも、とびきりに好きだった曲である。久しぶりにこの曲を聞いて、一気に 「あの頃」 の思いが押し寄せ、泣き出したい気分になってしまった。曲の内容は、ボブ・マーリーの 『Three Little Birds』 という曲に似ているが、RCのこの曲がちょっと違うのは、それが 「夢見る者」 に向けて歌われたということだろう。 最後の最後まで、「夢を忘れずに」 と人々に訴えかけていた清志郎らしい歌である。押し寄せる記憶に心をつまづかせながら、あの頃の私が抱いていた夢は叶ったのだろうか?と自問してみる。答えは、イエスでもあり、ノーでもある。清志郎が歌うように私も、夢を持ち続ける大人でありたいと思う。「頭ごなしに笑われても」 。
>RC Succession – すべてはALRIGHT(YA BABY)
忌野清志郎を偲ぶ - その4 ・ Imagine
どうして日本語でロックを歌うのかと聞かれた清志郎が、「英語ができないから。言葉の意味がわからなくては歌えない。」 と答えていたのを、どこかで読んだ記憶がある。忌野清志郎は、歌詞をとても重要視したミュージシャンであったと思う。彼の歌う歌は、何しろ歌詞が聞き取りやすい。曲を知らない人が聞いても、だいたいの歌詞は聞き取れるであろうと思う。そして、彼の書く歌詞は、愛の歌であれ、社会に疑問を訴えかける歌であれ、メッセージの込められたものが多かった。最後まで、「伝えたいことがあるから歌う」 という姿勢を崩さないミュージシャンであったと思うのだ。そして、音楽の持つ、メッセージを伝える力というものを信じていた人であり、音楽を通してメッセージを送ることや受け取ることの心地良さをよく知っていた人だと思う。それはたぶん、彼がまだ若い頃から憧れてきた、オーティス・レディングや、ジョン・レノンから学んだことなのだろう。
清志郎が日本語で詩をつけた Imagine は、ジョン・レノンのオリジナルの意図をしっかりとわかりやすく表現しつつ、日本語の詩としての美しさや説得力も兼ね備えた素晴らしい仕上がりとなっている。

この曲が収められたRCサクセションの「COVERS」 というアルバムは、その反核・反原発の内容から、発売中止となった (詳しくは>Wikipedia: COVERS (RCサクセション))。過激で皮肉な歌が多かったこのアルバムを締めくくる曲はしかし、この祈るように演奏される Imagine だったのである。
忌野清志郎を偲ぶ - その3 ・ ザータイマーズ
ブルース・ジャム・セッションがあるので、毎週通っているパブがある。ある晩、そこの駐車場が工事中で、工事の道具やらヘルメットやらが散らばって残っていたことがあった。それを見た私の夫が、「このヘルメットをかぶって、パブに乱入しよう!そして、『土木作業員ブルース』 というのを歌うのだ!」 と冗談を言い、それを聞いた私は、「そんなのはね、もうとっくの昔にキヨシローがやっているのよ。」 とたしなめたのでる。

タイマーズは、肝がすわったバンドであった。土木作業員の格好をして、手ぬぐいで顔を覆って、(バレバレであったにもかかわらず) 最後までメンバーの本名は明かさず異名を使い、ゲリラライブで反社会的な歌を歌った。清志郎はこの頃、反戦・反核を歌ったRCのアルバム、「カバーズ」 が発売中止になったことで、かなり頭にきていたのだろう。
そんな過激なバンドであったにもかかわらず、遊び心もふんだんに持ち合わせていたのが、タイマーズの楽しいところである。真面目な過激バンドでありつつ、清志郎が得意とした言葉遊び (ダジャレともいえる) がいたるところに見られるお遊びバンドでもある。そもそも、ザ・タイマーズというバンド名も、ゼリー、トッピ、ボビー、パーというメンバーの名前も、ザ・タイガーズのジュリー、トッポ、サリー、ピーのパロディであるらしい。
『タイマーズのテーマ』 という曲の歌詞は、「Hey Hey We’re THE TIMERS Timerが大好き かわいい君と トリップしたいな」 というものである。つまり、タイマーズとは、大麻ーズなのである。
>タイマーズのテーマ / The Timers
ロック調の曲で、普通なら 「イェ~イ!」 と歌うところを、「ぜ~い!」 と歌った 『税』 という曲もあった。様々な税の名前を挙げるこの曲は、しまいには、「そりゃないぜ~い」 とか、「俺にギターを買って欲しいぜ~い」 などと発展する。
>税 / The Timers
ブルースにのせて 「まわりはワナで~ガンジャがらめ~」 という歌詞を歌った 『まわりはワナ』 という曲では、今、絶対に普通に 「マリワナ」 って言っただろ!と突っ込みたくなってしまう。この曲はもう、ダジャレのオンパレードである。
>まわりはワナ / The Timers
生放送のテレビの音楽番組で、『イモ』 という曲を演奏するはずだったのが、本番になって急遽歌詞を変えて、『FM東京』 という歌にして歌い、放送禁止用語を多用してFM東京を攻撃したこともあった。これはWIkipedia によると、反核を歌ったRCサクセションの 『サマータイムブルース』 が放送禁止になったことと、友人の山口冨士夫の曲がFM東京で放送禁止にされたことへの反撃であったらしい。
>FM東京 / The Timers
個人的に私が好きなタイマーズの曲は、『Long Time Ago』 である。タイマーズの曲はブルースのテイストが強いものがけっこうあって、そういう面でも私のツボにはまったのだと思う。
>Long Time Ago / The Timers
それから、『宗教ロック』。清志郎の葬儀は、やはり無宗教で行われたそうである。ニュースやYouTube の映像で見たけれど、密葬も本葬も、忌野清志郎という人の行き方が良く表れていたものだったと思う。
>宗教ロック / The Timers
忌野清志郎を偲ぶ - その2 ・ オーティス・レディングへの傾倒
RCサクセションや忌野清志郎の音楽を聞くと、ビートルズやローリング・ストーンズの影響を受けてるよなあと思うことが多いのだけれど、この2つのバンドと並んで欠かすことができないのが、なんといってもオーティス・レディングだろう。
最近では 「オーティスが教えてくれた」 という曲を歌っていたし、RCの 「Sweet Soul Music」 という曲では、オーティス・レディングの 「(Sittin’ On) The Dock of the Bay」 の一部が歌われているし、RCのセカンド・アルバムに収められた 「去年の今頃」 という曲でも、早々とオーティスの名前が登場している。初期のRCはアコースティック・ギターとウッド・ベースで、一見フォーク・グループのようだったけれど、そこで歌われるものは、「オーティスの~レコードを~聞きながら~~ガッガッタ」 だったのである。オーティス譲りのガッタガッタというシャウトは、このアコースティック時代に既に確立されていたのである。

1992年にリリースしたソロ・アルバム 「Memphis」 は、憧れの地メンフィスまで出向いて、Booker T. & the M.G.’s と共に録音したものである。個人的には、清志郎の残した多くの名作の中でも、かなり好きなアルバム。Booker T. & the M.G.’s といえば、古きよきブラック・ミュージックが好きな人ならば誰でも知っている名前で、オーティス・レディングや、サム&デイヴなどのバックも務めてきた老舗バンドである。
YouTube に1992年のライブの模様があったので、ここで紹介する。ブッカー・T.のオルガンとスティーヴ・クロッパーのギターはもちろん、グルーヴィーなベース、絶妙なホーン・セクションがかっこいい。
>忌野清志郎 カモナ・ベイビー & SOUL MEDLEY / with Booker T. & the MG’s ‘92
>高齢化社会 / 忌野清志郎 with BOOKER T. & THE MG’S / HAVE MERCY ! Tour 1992
それにしても、この人は歌詞を書く天才ですね。なにしろ、「カモナ・ベイビー」 というタイトルの曲の歌詞が 「たらふく食べにおいでよカモナ・ベイビー (鴨鍋)」 なのであるから、もうお手上げである。この曲ではその他にも、清志郎お得意の言葉遊びがたくさん散りばめられていて、楽しい限りである。今ふと思い出したのだけれど、確かこのアルバムを出してすぐのインタビューか何かで、バンド・メンバーにこの曲はどういう内容なのかと聞かれた通訳の人が、説明するのに大変苦労したという話をしていたような気がする。そりゃそうだ。
「高齢化社会」 もすごい。社会問題を歌い続けてきた清志郎だが、こんなふうに高齢化社会について歌うとは。こういう芸当をやってのけるミュージシャンは、この人以外にいない。本当にさみしいものである。